「休む」について真剣に考える

「休む」のがものすごく苦手なようです。

ヨガ教室を始めて14年目。

オープン当初は、定休日の月曜日もレッスンをしていました。

それはよくないと周りからの説得もあり、あえてお休みするようにしました。

が、、月に1回「マンデーヨガ」をやっています。

それでもいまだに休みの日に何もすることがないと、

レッスンしたほうがいいのでは?と思ってしまいます。

何なんやろ?時間がもったいないと思う貧乏性なのか?

貧乏ヒマなし( ;∀;)

 

「オンとオフの切替」がヘタなようです。

旅行中でもふと、「こんなに休んでいいのかな~」なんて思ってしまいます。

今はできるだけ休みのときは仕事のことを考えないようにして、ようやく旅行も楽しめるようになってきました。

「旅行に行ったら疲れませんか?」とよく聞かれます。

以前はそんなふうに思うこともありましたが、今は「また明日からがんばろう」と思えるし、

日常を離れることがとてもリフレッシュになり、いつからか旅行に対する考えが変わりました。

その一方で、休みの日に家から一歩も出ず、思う存分本を読んだり、ダラダラするのも至福の時間です。

 

こんなふうに、「休む」ことについてあれやこれやと考えて、何だかよくわからなくなってきたので、

「休む」という言葉をネットで調べたり、『休むヒント』という本を読んでみました。

すると、「休む」の定義は人それぞれやなということがわかりました。

なんじゃそら(*´▽`*)

 

そんな中、偶然にもヨガの本にこんな教えをみつけました。

 

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【ティティクシャー(忍耐)】

「耐える」の意味だけではなく、今起きている状態をまずは「受け入れる」ことを示す言葉。

天変地異など、人間が抵抗しても不満を持っても何も変わらないことにイラ立ちを抱えたり変えようとしても大きなストレスになるだけ。

それらを受け入れたうえで、今の自分に何ができるかを考え、すべきことをする忍耐の性質のこと。

 

このティティクシャーは、「リラックスする時間を持つ」ことで実践できる。

リラックスしてこそ自分の本質を見つけられ、周りをも受け入れる余裕が生まれる。

 

だから、リラックスする時間を持ち、変えようのない状態を受け入れれば、

心の余裕が生まれ、「今の状態を耐える力=ティティクシャー」が育まれる。

 

何かを受け入れ続けるためには「完全にリラックスしたマインド」が必要なのである。

 

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ザ・ヨガ哲学ですが、、

「ゆるす(受け入れる)」は2025年の私の目標ではないか。

受け入れるためにはリラックスしなさいと!?

心の余裕、、ホント必要だと思う。

 

私の中でまたつながった。

こんなふうに、ヨガを続けていると、一見違うように見えていたものが何かしらつながり、少しずつ形をなしていく。

そして、それは、最後には〇(まる)になるのだと思う。

 

心のどこかで、休むことに罪悪感を感じている気持ちが少し軽くなる。

 

ある人が「ブログを書くのも仕事です」と言った。

それ以来、コツコツとブログを書いている。

「休むのも仕事です」やな。

そう言われたら仕方ない、、ってどんだけ~(*´▽`*)

 

とにもかくにも、待ってくれている人がいる、会いたいと思ってくれる人がいる限り、

そして、何より「きなり」を続けていくためにも、私は、私が、心身ともに元気でいないとなと思っています。

そのために休む。

自分のために、人のために。

 

本当の自分自身でいること。

何をしても、何をしなくても、心休まる人との時間が癒しです。

 

ありがとう。

 

いつもは仕事で絶対に見ることのない『徹子の部屋』。

たま~の休みの日に見たゲストが「この人誰?」っていう時のがっかり感がハンパない。

休みの日はほぼ一日寝転がって本を読んでいるので、手で本を持たなくてもいい方法を真剣に考えている、

き~よ~ちゃんでした!

 

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【バガヴァッド・ギーター第二章・14節】

おお、クンティの息子アルジュナよ。

感覚器官と世界が結びつくことで、寒さと暑さ、

喜びと苦しみなどの二極を引き起こします。

二極の性質は移り変わるもので不変ではありません。

それらを理解して受け入れなさい(ティティクシャーしなさい)。