家が片づいた3人の女性が書いた本を通して、「家事(家のこと)」について考えました。
そもそも「断捨離」という言葉はヨガの思想からきているということですが、そんなヨガ的考えが随所に感じられるこれらは、
モノや情報に翻弄された、まさに現代を生きる人たちのための「ヨガの教典」と言ってもいいと思うのである。
「人間は手ぶらでこの世に来て、去る時も手ぶら」
私も、「最期に持つものは棺桶に入るものだけ」を信念にしたいのだが。
これは、「自分の人生に責任を持つ」ということなのかなと思ったりする今日この頃。
①『家事か、地獄か~最後まですっくと生き抜く唯一の選択~』アフロヘアの元新聞記者、稲垣えみ子(著)
〇不要なモノを整理することで、「ないものは散らかりようがない」=家事がラクに、いや、楽しいとさえ思えるように(心の革命)。
何より片づいたのは頭や心で、生きていくのに必要なものはちょっとしかない。そうなると、これ以上欲しいものもあるはずがなく、
「これでいいのだ。これで十分、もう何もいらない」という気持ちに(人生の片づけに成功した)。
〇「自分で自分の面倒をみることができる」ことこそが幸せなのだ。
幸せは家の中、自分の中にあったのだ。自分の力で自分の幸せを作り出すことができる(大きな安心と幸福)。
自分のことは自分でできる。
これから自分の衰えに合わせて、人生をちゃんと「手に負える」範囲で生きていけばいいのではないか(身の丈の幸せ)。
②『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵(著)←アフロ記者に影響を与えた本
〇片づけとは、過去に片をつけること
→大切なのは、過去の思い出ではない。その過去の経験を経て存在している、今の自分がいちばん大事
〇片づけは人が自然な状態(自然体)で生きること
→必要のないモノを持っていることは不自然な状態、自分にとって本当に大切なものを大切にしていく
〇「捨てる」を終わらせる(なんかカッコいい!)。そして、「残すと決めたモノを大切にする」
③『「捨てる!」技術』辰巳渚(著)←こんまりに影響を与えた本
〇大ベストセラーになったこの本の著者は、その通り!と共感することが多々あるのに、数年前に事故で若くして亡くなられています。
子供にもお手伝いをさせる意義など、「生活(暮らし)こそが、人が自立して生きる基本である」ことを訴え続けていらっしゃいました。
→詳しくはこちら ※子供向けの本も多数出版されています。本当に残念でなりません。
〇「家のことは、生きること」。家事が好きでなくても、得意でなくてもいい。
ただ、その日その日を、自分自身をしっかりと生き、大切な人の役に立っている喜びを感じられたなら、それが家事との仲直りです。
かくいう私は、全くモノを「捨てられない」性格でした(人のものは容赦なく捨てられる)。
ところが、ヨガのおかげか長い時間をかけて身も心もシンプルになり、ここ数年ようやく「もう捨てるものはない」という生活を送っています。
そうなると、まさに家事が楽ちん!決して好きでやっているわけではないですが、
若い頃と比べると、家事に対して「めんどくさい」や「苦」という気持ちがいつのまにか自然となくなっていたのです。
少々盛って言うとするならば、「楽しい」とさえ思うこともあるのは事実。
例えば、あれだけ料理が面倒でイヤだと思っていたのに、疲れていても台所に立ってチャチャっと作るし、食材を全部使い切るときがうれしい。
拭き掃除をすると部屋がピカピカ、心もスッキリ~。
晴れた休み日(時間にも心にも余裕がある)に洗濯ものを干しながら、ありがたいな~と感謝したり幸福感を感じる。
ホント、信じられない。自分でも驚くほどの気持ちの変化です。
まさに、「捨てるを終わらせた」ことにより、「家事がラク」になり、「家事と仲直り」できたのです。
思い起こせば、仕事に遊びに自分のことだけ、好きなことだけをして生きていた独身時代。
27歳で実家を出るまで、洗濯機や炊飯器のボタンなど一度も押したことがなく、社会人になっても毎日駅まで送迎付き(余裕で歩ける距離)。
「鉄の箱入り娘」と言われるほどに何ひとつ家のことができない、いや、やったことがなかったのです。
それが、親元を離れてしばらくすると、「ちょっと一杯お水を飲んだだけのコップも自分で洗わなければならない」という現実にふと気づき、「え?生きるって大変やな~、、」とキッチンで呆然と立ち尽くした日のことを今でも鮮明に覚えています。
きちんとアイロンのかかった服やハンカチ(衣)、温かいごはん(食)いつもきれいな部屋(住)、どれも当たり前に思っていたけど大間違い。
誰か(母)がやってくれていたのです。
実家での生活がいかにありがたかったか、毎日毎日家族のために、いちばんに家のことをしてくれていた母を思うと泣けてきます。
母に心から感謝です。
で、家事はお母さんだけがするものではない!(お前が言うな)
子供にこそ、家事を。(そうだ!)
定年退職したオヤジ(父)たちよ、まだ間に合う。これからが勝負や!(誰?)
家のことは生きること。
生きるために食べる。
その食べ物を自分で用意する。よく考えたらものすごく当たり前のことであるのに。
家事は、「自分で生きていける力」のもっとも基本にあるものだったと改めて気づかされました。
母が昔から(今も)、私にこう言います。
「外(仕事)でいくらがんばってても、家(日常)のことができてなかったらアカンねんで!」と。(アンタがさせへんかったんやけどな)
母は、いまだに私がちゃんと生活できているのだろうかと本気で心配している。
そんな母は、、
私が学生の頃、夕食の洗い物が全部終わったあとに「お弁当箱を出す」なんてことをすると、そんな怒る?というほどの鬼の形相で怒った。
もう一つ、いつだったか、トイレ掃除を終えたあとで母がこう言った。
「お母さんな、トイレピカピカにしたあと、最初に自分がするのが好きやねん(^^♪」と。
知らんがな(*´▽`*)
私も家事をするようになった今、母の気持ちがと~ってもよくわかる、き~よ~ちゃんでした!
ありがとう。
・・・
写真のこと(^^)
2005年、鉄の箱を抜け出し、家事は敵でしかなかった30歳の頃の私。友人と訪れた韓国(ソウル)にて。
それから20年。伝説の家政婦?である母と、家のことを一切しない父と、家事と仲直りした私。釜山にて。





