2026年「無事之名馬」

「無事之名馬(ぶじこれめいば)」

競走馬を指して「能力が多少劣っていても、怪我なく無事に走り続ける馬は名馬である」とする考え方を表した格言である。

馬主でもあった作家・菊池寛の造語(Wikipediaより)。

 

2025年を振り返って。

今まででいちばん早く過ぎ去った気がした一年でした。

仕事が忙しいとか?休みが充実しているとか?

それもあるかもしれませんが、少し考えてみて、おそらく「タブレット」でしょう。

以前に比べてタブレットを手にする時間が多くなったのかもと思います。

どうでもいい些細なことも、気になったら調べないと気が済まなかったり、

少し前はテレビもほとんど見なかったのに、見逃した番組をわざわざ見たり(てっきり有料だと思ってたのが、最近「無料」と知ってしまった。知らんほうがよかったわ)

これって、いろいろなことにものすごく固執しているなと思うのです。

昔やったら、「見逃したら終わり」やったやん。

そりゃ、時間がいくらあっても足らんわ。ろいろと余裕がなくなり、情報で頭もいっぱいに。

ずっと何かを考えていたり、常に何かをやっている。

本当にやりたいことができなくなっているのではないのか。

ガラケーの私でもこれです。どうなる私たち?

 

そして、昨年は「休む」を意識した年でした。

40歳になったときに、自分の好きなことを誰にも遠慮せずにやろうと決めました(足し算)。

50歳になったときに、「もう少し力を抜いてもいいよ」と自分に言い聞かせるようにしました(引き算)。

 

昨年の流行語大賞は「働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります」でしたが、

私は労わって労わって労わってまいりたい(^^)

 

そんな私の2025年のヒットワード賞は、【敬老の日、これ以上敬えない(翻訳家・村井理子)】を抑え、

【女はどうでもいい話を聞いてくれる男を愛し続ける(実業家・黒川伊保子)】です。

そうそう、共感してもらえるってうれしい♡だからこそ、「否定しない」を覚えた一年でもありました。

  

一方、イヤなことはイヤと言うことも大事だ」ということを知った年でもありました。→『「バウンダリー」~心の境界線~』

何かあった時、すぐに「自分が悪い」「私が我慢すれば、、」と思ってしまう私にとってはかなりの衝撃でした。

おそらく、行動にうつすにはまだまだハードルが高いですが、

絶対にできないと思っていたヨガのポーズ「頭立ち」が、何年もかけて何度も何度も倒れた末にできたときのように、

勇気をもってやってみると何かが変わるのかな。

 

さて、「休む」を意識したからか、休みが長かったからか、自分自身を労わってゆるせたからなのか、

今までにないほど心から解放された気がした年末年始。

本当にすべてが有り難い。

ヨガのおかげで、日々、今がいちばん幸せだと思えるようになった。

だから、なんだかんだ言ってるけど、もう何も望みはない

ただただ「無事」、何も無い事。

難しいことはわかっている。

けれど、今はただ、それだけを切に願う。

自分も、家族も、私と関わるすべての人たち、日本中、そして世界も。

 

しかしまぁ、なぜ年末というのはあれほどバタバタするのか。

あれやこれやと用事を済ませるために全速力で自転車をこぐ。

立ちこぎなどしたとき時にはもう完全に「桐谷さん」な、き~よ~ちゃんでした!

 

ありがとう。