「去られるためにそこにいる」

いつのまにか、もう春。

毎年のことですが、梅の花の便りが聞こえてくると、「あ~、冬を乗り切った~」と思って心がホッとします。

また新しい一年が始まるような気持ちになるその瞬間が好きです。

日本海側である福岡の冬は風も強く、曇りの日が多いな~と感じ、

以前は冬になるとかなり気持ちが落ち込むことがありました。

ところが、「冬うつ」という言葉があると知り、気が沈むのは私だけではないのかと思うことで気がラクに。

やはり、私たちも動物。冬は冬眠していていいんだと思えるようになり、冬うつを克服。

この経験から、雨が降る日もいつもより少しゆったりした気持ちで、自分にやさしく過ごしていいようにしました。

こうして(特に50歳を過ぎ)、自然に抗わず、いろんなことがある毎日を、日々たんたんと、ほどほどに、

ぼちぼちと自分のペースで過ごすことを意識しています。

「無事」、、何事も無いのがいちばんだなと心から思う今日この頃です。

 

とはいえ、いくら願ってもそんなわけにはいかないわけで、、

大阪に帰省して両親に会うたびに、「年取ったな~」と思うようになりました。

親が老いるのを見るのはつらいものですね。

私が最近「無事」を切に願うのは、これから先、大切なものを失うことへの恐れや不安からなのでしょう(執着)。

そんな中、こんなタイトルの本をみかけました。『去られるためにそこにいる~子育てに悩む親との心理臨床~』田中茂樹著。

著者によると、『母親は、子どもに去られるためにそこにいなければならない』というある有名な論文があり、

親が手を回したり導いたりしなくても、いやそうしないほうが、こどもはしっかりと自立していく、と説いているそうです。

が、今の私の立場ではこのタイトルを「子から親が去っていく」と受け取りました。

生み育ててもらったあと、最後は子が親の面倒をみる。

みんな順番、循環しているのだと思って、これからの現実と向き合っていくしかないのだと。

 

で、そんな私のまた悪い?クセ(何がどう転んでも自分を責める)で、

「福岡と大阪、離れて暮らしていることが申し訳ないな。私が近くにいてあげられたらな~」などと気持ちが重くなるのです。

ところが、そう思っているのは私だけで、父母からしたらそれは余計なお世話かもしれないのに。

なので、

「人の心配ばかりせず、私が日々幸せに暮らしていることが親孝行(だからこそ、親にもそうであってほしいと思うのですが)、お互いにそれぞれの場所で、それぞれの人生を生き切るしかない。人の人生まで背負えないし、それはおこがましいことですよ」と自分に強く言い聞かせ、自分の心を守るようにしています。

ただ、こんなふうに私(子)が母を思うように、母が(親が)どれだけ子を心配しているのかと思うと泣けてくるのですが、

いやいや、「親子なのに、親子だから、親子だからこそ、、、」いろいろありますわな。

「親の心子知らず、子の心親知らず」です(*´ω`)

 

ホント、何事も無いことは有難いこと。→「『当たり前』にありがとう」

そんないろんな事が有る毎日を生きやすくするための道具がヨガ。

自然に抗わず、今ここで、自分にとってちょうどいい、自分の手に負える生活を、たんたんと、ほどほどに、

ぼちぼちとやっていこうと思う、51歳の春なのだ。

バカボンのパパは41歳

 

ちなみに、「バカボン」はヨガの教典である『バガヴァッド・ギータ』に由来し、「お釈迦様」を意味している。

「レレレのおじさん」はお釈迦様のお弟子さんがモデルと言われています。

バカボンのパパが言う「これでいいのだ」は、すべての出来事や存在、今ここ、あるがままを受け入れるという、

まさにヨガ的精神。

福岡藩の儒学者、貝原益軒の『養生訓』によると、人は50歳以上になってようやく分別がつき、心身ともに成熟するという。

まさに、サザエさんの父母、波平(54歳)やフネ(50ン歳)の世代。私もまだまだこれからなのだ('ω')ノ

で、やっぱり梅よりサクラが好き♡な、き~よ~ちゃんでした!

 

お母さん、ありがとう。